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2005年5月

2005年5月31日 (火)

ギャラクシー賞授賞式

昼から東京へ。今日はギャラクシー賞の授賞式。去年1年間で放送された番組の中から選ばれた番組が表彰されるのだ。すでにラジオ部門8本の中に選ばれたことは書いたが、いよいよ今日は大賞と優秀賞が発表される。もちろん「全国の中で8本に選ばれる」だけでも名誉なことだが、もらえるモノならもらいたいし・・・ねぇ。

そしていよいよ発表。

ボクらが作った番組は「優秀賞」を受賞した。ディレクターの話だと、マスコミ関係者の間ではギャラクシー賞というのはかなり名誉ある賞とのこと。そんな権威ある賞で、「地元を追求したギンギラらしいドラマ」が評価してもらえたのが嬉しい。

授賞式の後は記念パーティへ。選んでくれた委員の方々が、わざわざボクらを見つけて、「良かったよ」と感想を言ってくださったので、またまた感激する。あと、嬉しいと言えば、ワールドビジネスサテライトの小谷真生子キャスターを間近に見れたこと(他にも、役所広司、和久井映見などそうそうたるメンバーが出席していた)。小谷さんはボクの「心のアイドル」。立食パーティの時、横を通ったんだけど・・・声をかける勇気がなかったなぁ。あードキドキした。

一緒にドラマを作ったディレクターは、今は東京のドラマ部で朝ドラを作っている。「せっかくだから」と言うことで渋谷のスタジオで撮影見学。ちょうど朝ドラと大河ドラマの収録中だった。しばらく見学して、近くの居酒屋でお祝い会をして渋谷のホテルへ。福岡からの移動に始まり、今日は1日が長かった・・・まあ楽しい事ばかりだったからいいんだけど。

そういえば、苦労して脚本を書いていたのが、ちょうど去年の今頃だったなぁ。

2005年5月30日 (月)

あったら見たいでしょ

「自分の耳の中を見ながら耳掃除が出来る」という耳かきを衝動買いしてしまった。 「イヤースコープG2」http://www.coden.co.jp/earscope.htm

オープン価格となっているが、ボクが買ったネットショップでは1万円ナリ。で、さっそく試してみたら、本当によく見える。「自分の耳の中を自分で見る」と言うのが何とも不思議な感じで楽しい。よー考えたなぁーこんな商品。

おかしいのは周りの反応。買った事を話すと、「また、そんなモノに1万も使って・・・」とあきれるくせに、必ずその後に「あ、だけど、ちょっと見てみたいなぁ。今度貸してよ」とくる。うんうん、そうだろう、そうだろう・・・あったら気になるよねぇ、見たいよねぇ。ボクもその好奇心に負けてしまったわけだし。

「じゃあ自分で買えば」と、ちょっと意地悪な事を言うボクだった。

2005年5月29日 (日)

チビッコと共に半世紀

今日は一日家で原稿書き。23日に取材した太宰府の原稿をまとめながら、別件の原稿の校正など。太宰府園で撮影した写真があがっていたので、どれを使うかを考えながら文章をまとめていく。メインカットを最初は「ボクと今村さんのツーショット」にしていたが、「太宰府園をバックに一人で微笑んでいる今村さん」の写真がグッと来たので、差し替える事に決めた。

今回のギンギラ新聞のタイトルは「チビッコと共に半世紀」。48年間チビッコの笑顔を支えてきた今村さんが主役だ。

2005年5月28日 (土)

野球がしたいなぁ

今日は我がチームの試合日。早起きしてユニホームの準備をして・・・と、なんだかイヤな予感がしたので南河内の公演スケジュールを確認「ぎゃー!明日の日曜日は公演がない!!」。そう、今日は野球で大暴れして、明日観に行くつもりだったのだ。慌ててチームの幹事にお詫びの電話をかけて、芝居を見に行く事に。しかし危なかった。盛り上がってトークしておきながら観損なっていたら、内藤さんに申し訳ないもんね。

まずは昼にピクニックで東京物語の取材を受けてから西鉄ホールへ。後ろの席に座って開演を待つ。西鉄ホールで芝居を観るときは、いつもギンギラで使っているホールを、「どう使うのか」空間全体を把握したいので、後ろの席で観る事が多い。「今回は静かな芝居だから」と内藤さんは言ってたけど、いえいえ、いつものように「身近なところから始まりダイナミックに展開する物語」にしびれましたよ。演出モードのボクは「ずるいよなぁ」とか「うまいなぁ」なんて思いつつ、観客として楽しんだ。

終わったあとは秋のイベント打ち合わせでお茶する。

2005年5月27日 (金)

NHKFM「今後の放送予定」に出てたので

去年ボクが脚本を書き、ギンギラのメンバーも出演したラジオドラマが「ギャラクシー賞ラジオ部門」を受賞した。まず去年上期の8本に選ばれて、そのあと下期の8本とあわせた16本から選ぶ8本に残ったのだ。これで「ノミネート」と言う事になるらしい。5月31日にある授賞式で、さらにこの8本から大賞1本と優秀賞3本が選ばれる。

31日まで秘密かと思っていたら、もうNHKFMの番組ガイドに「ギャラクシー賞受賞につき再放送」と発表されていたので、この日記でも発表する事にした。なお、東京で開催の授賞式にはボクも出席する事になっている。

2005年5月26日 (木)

やっと会えた

小学校の時、図書館にお気に入りの本があった。題は「ふしぎ博士のふしぎな発明」。昔の人が考えた珍発明を集めた本で、小学生のボクはページごとに載っているイラストを眺めて、どうしたら実現するだろうかと空想するのが大好きだった。図書館に通っては、この本を何度も何度も眺めていた(まあ、当時から引きこもり気味だったし)。

この本をもう一度読みたいボクは、定期的にネットで検索していた。他にも何冊か欲しい本があったので、あわせて月イチぐらいで検索を続けて・・・。探し始めて1年ぐらいになるが、他の本は次々見つかるも、どうしてもこの「ふしぎ博士のふしぎな発明」だけが見つからなかった。でも、なんとしても読みたいボクは諦めずに検索を続けていた。

そして、ついに静岡の古本屋に在庫を発見!速攻注文して、ようやく手に入れる事が出来た。本の背表紙を見ると昭和47年発行とある。と言う事は小学校3年の時に出会ったのか・・・23年ぶりにやっと再会が叶ったよ。

今日は1日中この本を眺めていた。

2005年5月25日 (水)

色々考えないとね

夕方からギンギラミーティング。今進めているマル秘計画の進行状況を報告して、みんなでドキドキソワソワする。もし実現したらきっとみんなビックリするだろうなぁ・・・この話はまだ秘密なのでここまで。

ミーティングのあとはじゃんくうへ。今日は南河内の内藤さんと地元演劇人で交流会をやっているのだ。ちょっと顔を出して帰るつもりだったが、内藤さんと「作家の方向性について」で、話が盛り上がったので、そのまま最後まで参加。

終わったあとは、西鉄ホールの中村さん、クロックアップの川原君、ボクの3人で、ファミレスへ。「どうすれば演劇人口が増えるだろうか」という話で盛り上がる。

2005年5月24日 (火)

プレ稽古2回目

まずは衣装の打ち合わせ。プラン担当のとまとママが描いてきたスケッチを見ながらみんなで相談。過去に2回上演しているが、衣装・舞台装置のどちらも「そぎ落とす方向」で作っていたので、今回「どんどんイメージをふくらませて衣装や舞台を作り込む方向」で進んでいるのが楽しみで仕方がない。

打ち合わせのあとは稽古。前回同様「まあ軽くプレ稽古で・・・」と言いつつ、結局ラストシーンまでしっかり動きながらの稽古。まだ本稽古が始まっていない段階(本稽古は13日から)で、すっかりラストまで確認してしまった。演出からは本稽古初日にセリフを覚えてくるようにと注文が出ているので、あとは自宅で特訓だ。

稽古のあとはFPAPの高崎君と打ち合わせ。演出の泊君から「何人か出てくる場面を作りたい」と要望が出ているので、若手に協力してもらえないかを相談。

2005年5月23日 (月)

取材で太宰府園へ

今回のコンパスは太宰府園の特集。昭和32年の開園以来ずっと太宰府園で働き、この春退職された今村さんという女性の方に話を聞いた。すごいよね。48年間も太宰府園と共に歩んできたなんて。小さい頃何度も行っていたから、きっとボクも今村さんにお世話になったんだろうなぁ。

全盛期に比べると客足は落ちているが、今でも幼稚園のちびっ子たちには人気とのこと。確かに大きくなると物足りないかもしれないが、小さな子供たちが「初めて出会う遊園地」としては十分じゃないかと思う。

スペースワールドも力尽き「九州のテーマパークが総崩れ」と言われている中、なんと太宰府園は黒字経営を維持している。「小さな子供たちのための遊園地」と言うスタンスを守り続ける事で、長年愛され続けているのだ。

2005年5月22日 (日)

玄関の鍵

「ピッキングに弱い旧型」だった玄関の鍵を取り替える。新しい鍵はだいたい1万円ぐらいだが、業者に頼むと手間賃込みで2万円と倍近くかかってしまうので、自分で鍵を買ってきて取り替えに挑戦した。まあ、挑戦と言っても、実はすごく簡単な作業なので、10分もかからないうちに終了。

まず、ドアの内側にある鍵本体のネジをゆるめる。うちのタイプはたった1本のネジで留めてあるだけなのですぐに外れた。驚くほどあっけなかったが、あくまでも「進入を防ぐ」のが目的だから、内側からは簡単にはずせるようになっているようだ。次に、はずした本体についている旧型のシリンダー(ドアノブの中心にある鍵穴の部分。円筒形をしている)を買ってきたシリンダーに取り替える。で、終了。ね、簡単でしょ。

2005年5月21日 (土)

「それを立つというのか・・・」というツッコミは無し

立ち上がるレッサーパンダの話題で持ちきり。「実はうちのも立ちますよ」と、各地の動物園が名乗りを上げている。福岡市動物園も、ちょっとだけ立つような事を毎日新聞で答えていた。ただし動物園関係者のコメントが、「飼育員が近付くと立ち上がり、こちらを見守る。私たちが動かずにじっとしていると、そのまま立って待ち続けてくれるのでは・・・」と、微妙なニュアンス。「そのまま立って待ち続けてくれるのでは・・・」ってどういう事?つまりは立ち上がるのは一瞬てこと?

「それを立つと言うのか?」と思うけど、まあ、それは言わない約束で。

動物園の経営はどこも大変で、福岡市動物園も補助金に頼っているのが現状なのだ。もちろん、ただ補助金を当てにするのではなく、夜の動物園やサポーター制度など色んなイベントを仕掛けて頑張っているが、残念ながら赤字の解消までは至っていない。だから、「元からずっといる動物」でお客様が来てくれるのなら、こんなに助かる事はないのである。

この際、「福岡市動物園のレッサーパンダが赤字解消を目指して立ちあがった」ということで。

2005年5月20日 (金)

嬉しいハガキ

お客様から「引っ越しましたので、今後は新しい住所に案内を送ってください」と、引っ越しお知らせハガキが届いた。ギンギラには、こうした住所変更を知らせる手紙がよく届く。

これって、お客様が「今後も見たいから知らせてね」とわざわざ言ってくれてるわけなので、とてもありがたい。

どうでもいい相手だったら、引っ越し先なんて知らせないでしょう。だから本当に嬉しい。ギンギラはこういうお客様に支えられているのだと思う。

2005年5月19日 (木)

無条件創作

今日と明日が急にオフになったので、存分に家に引きこもる事にした。好きな曲を聴いたり映画を見たりして脳みそをリラックスさせて、脚本の構想を練る。で、ひらめくままにイメージをメモに書き留めていく。

とくに締め切りに追われているわけではないので、次回作(まだ秘密)だけでなく、思いつくままに「頭の中の舞台」で色んな芝居を上演していく。

現実的な事は後回しの想像の舞台では、1000人が「500人VS500人」の大立ち回りをやっていたりと、本当にやりたい放題。この作業が一番楽しいかな。

2005年5月18日 (水)

公演の合間はいつもの悩み

「雑誌や新聞の切り抜き」の整理に追われている。記事を分類しながら、次回作の構想を練るのは楽しい作業なのだが、さすがに多すぎてちょっと大変な事になっている。資料なので「捨てる」というわけにもいかないし・・・。「資料の電子化」しかないのかなぁ。でも、すべてをスキャナーで取り込もうとしたらそれこそ大変な作業になりそう。ああ、一体どうしたらいいんだ!

結局、いつものごとく「なんとなく仕分けして先送り」となりそうで怖い。早く本格的に整理しなければ。

2005年5月17日 (火)

プレ稽古のはずが

6月からの本格稽古を前に、今月2回ほど稽古がある。今日はまず朝日新聞の取材を受けて、軽くスタッフ会議。感動したのが、美術プランナーさんが作ってきた1/48サイズの舞台模型。これが忠実に作ってあって見事としか言いようがない。「今回はスタッフも頼りになる方が集まっているなぁ」と改めて思う。

打ち合わせの後、16時過ぎから18時半まで稽古。本格稽古は6月からで、今日はあくまでも予備稽古との事だったが、始まってしまえば関係ない。出だしこそ、「まあ軽く脚本を読みましょうか」なんて感じだったが、すぐに「動いてみましょうか」と演出から指示もでて、約2時間みっちり稽古する。はやくも本を離しながら半立ち稽古みたいになってて自分でも驚く。張り切りすぎはわかっているが、つい嬉しくてねぇ・・・。

ああ、来週の稽古が待ち遠しい。 

2005年5月16日 (月)

ふくおか休刊へ

中学3年の時、クラス対抗の壁新聞コンテストがあった。ボクが編集長となって自分のクラスの新聞を作ったが、その時にお手本にしたのが「シティ情報ふくおか」だった。「ふくおか」と言えば、ボクらが中学生の頃は「高校生や大学生が読んでいる憧れのタウン誌」だったのだ。

小郡中学校だったから、タイトルは丸文字で「おごおり」にして、メインの記事は町のお店紹介。「○○商店は、アイスがよく当たる」とか、「××ラーメンが一番おいしい」とか、中学生なりに興味があるお店を取材して書いた。作っているときの合い言葉は「ふくおかみたいな、かっこいいタウン誌風にしようぜ」。大きな模造紙をいくつものブロックに分けて、とにかく紙面をまねした。

コンテストではボクらが作った壁新聞が1番になった。

高校時代、初めて劇団のまねごとをして公演をしたとき、ボクらの情報を載せてくれたのは「ふくおか」だけだった。活字で自分たちの名前が出ているのを初めて見たときは嬉しかったなぁ。

9月の復活を信じたい。

2005年5月15日 (日)

ウズベキスタン

今から4年前に「誰が幸せでショウ」と言う短編を書いた。登場するのは、ウズベキスタンの反政府ゲリラと、インドのストリートチルドレンと、お気楽な日本の女子高生。それぞれの生活を比較しながら「果たして幸せとは何だろう」というのを描いた作品だった。

まさに今、反政府暴動が起きているところなので、どうしてもこの短編を思い出してしまう。狂言回しとして登場する司会者が、容赦なく軍人に撃ち殺されるというかなりブラックな展開だったけど、今回の現実の方がひどいよなぁ。

2005年5月14日 (土)

「実は色々起きていたハプニング」とは

たとえば・・・ある場面で悪役が見事な死にっぷりを披露してくれた。絶妙な一瞬のタメがあって、その後にがくっと死ぬ。これがすごく見事だった。で、終わった後に「今日の死にっぷりは良かったね」と声をかけたら、その役者いわく「いや、あれは、たまたま自分の袴を踏んで転びそうになっただけなんです。いや危なかったですよ・・・」。もちろん楽屋は大爆笑となった。

結果オーライのハプニングと言えば、夜公演ですごい事があった。本来2人で会話しながら登場する場面で、なんと一人が登場しなかったのだ!直前で1人スタンバイしていない事がわかり裏は大騒ぎになったが、もちろん、舞台上の役者たちはそんな事とは知らないのでいつもの通り芝居を進めていく。結局もう一人が見つからないうちに、問題の「2人が登場する場面」になった。直前まで泣きそうな顔をして一人でスタンバイしていた役者は、覚悟を決めた表情になって、きっかけ通りに舞台に飛び出していく。

で、どうしたと思う?

なんと「2人分の会話」を独り言として、何事もなかったかのように芝居を進めたのだ!あまりに見事に切り抜けたので、ちょっと感動したなぁ。と、色んな事が起きているうちに2日間の公演は無事終了。

バラシが終わって夜11時から打ち上げ。たぶんボクが一番大声を出して騒いでいたと思う。2次会でも騒ぎ続けて気がつくと朝の5時になっていた。ホント久々に騒いだよ。

2005年5月13日 (金)

こんな爺になるのかなぁ

会場が広い事もあって、いつも以上にコテコテメイクでいく事になった。ひげを白くして、目の下に隈を書いて、自分の皺にラインを入れて強調する。だんだん出来上がっていく顔を見ながら、実際自分が歳をとるとこうなるのかなぁと、微妙な気分。「爺メイク」の出来がよかったという事にしとくか。

プロローグの立ち回りをしくじる事もなく、ちょっとしたくすぐり場面ではちゃんと場を和ませたし、自分の役割は果たしたかな。

終わった後は何人かで飲む。「お客様にはバレていないが、実は色々起きていたハプニング」を告白しあって大いに盛り上がった。

2005年5月12日 (木)

明日から本番

小屋入り3日目。舞台は2段舞台になっているので、稽古場でも見事だと思っていた立ち回りが「より立体的に」展開する。これがカッコイイ。丹下左膳役の次賀くんはもちろん、今回柳生十兵衛役の奥薗くんがまた見事な立ち回りを見せてくれる。キャラとしてもボクはこの十兵衛がお気に入り。強烈な存在感があるんだよねぇ、うん。左膳との好敵手ぶりもいいし。

あと、忘れちゃいけないのが、若手たちのがんばり。主役の左膳がかっこよく立ち回りが出来るのも、斬られる側がいるからこそ。今回、若手たちは男女関係なく、楽屋で休む暇もなく次々着替えながら場面を支えている。うん、ようがんばっとるよ。

みんなの想いが明日からの本番で一つになるように、ボクも自分のポジションをしっかり果たしたいと思う。

大塚ムネトの不定期日記