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2002年3月

2002年3月31日 (日)

あの頃の自分に買ってあげたい!

ボクが小さい頃、我が家には「おもちゃは買い与えない」という決まりがあった。建築業をやっていたボクの父親が「既成のおもちゃでは子供の想像力が育たない」と信じていたからだ。

年に1度、何でも欲しいモノを買ってもらえるはずのクリスマスでも父親の考えは変わらなかった。しつこいぐらい「マジンガーZの超合金人形を買ってくれ!」と頼んだのに、父親が買ってきたのは「木ぎれと大工道具セット」だった。泣いてるボクに父親がなんて言ったと思う?「欲しいなら自分で作りなさい」だって!「小学生にマジンガーZが作れるかボケー!」なんて父親に言えるはずもなく、ボクは大泣きするしかなかった。クリスマスに大泣きしている子供なんて悲しすぎるよね・・・仕方なく、泣きながら当時お気に入りだった「油性マジック」で木ぎれにへたくそなマジンガーZの絵を描いたんだよなぁ・・・。

この話は以前パンフにも書いたぐらい、ボクにとって忘れられない事件なのだが、で、何の話かというと、ガチャガチャで、ボクが欲しくてたまらなかった「マジンガーZの超合金人形」を再現したヤツが出たわけですよ。で速攻で予約して、今日宅急便が家について、今開けて、切ない気持ちで一杯になってる。と、この切なさを言いたかったわけね。

2002年3月30日 (土)

ついに放送&仕事で太宰府へ

いつもは電車で行くのだが、天気がいいので自転車で行くことにした。ちょっと無謀かななんて思ったりもしたが、1時間30分ほどで太宰府まで着いた。

途中で、太宰府政庁跡に寄って満開の桜を眺めたりしながらの、「のんびりぶらぶらチャリンコ旅」最高に、気持ちよかった。チラシ、脚本など、室内にこもっての作業が多いので、たまにはこうやって出かけないとね。

用事は夕方で終わったのだが、いよいよ今日放送されるかと思うと怖くて家に帰れないので、何だか遠回りして暗くなるまで自転車でぶらぶらしてしまった。家に帰ってきてしばらく悩んだ末に、留守録していた番組を見る。一体どんな風に描かれているのか怖くて怖くて、布団にくるまりながらこっそり番組を見たが、ギリギリ人様にお見せできるようなシーンばっかりだったので、ホッとする。本当はもっと赤裸々な場面も撮影されていたのだが、残念ながら(というかホッとしたというか)時間の関係で、カットだったようだ。

2002年3月29日 (金)

マーダーケースブックは途中であきらめました。

チラシ作りに追われて、すっかり忘れていたのが「週刊スターウォーズ」のこと。一週買いそこなっていたことに気づき、慌てて本屋へ。何とか先週号を見つけてホッとする。まだまだ先が長いのに(SF専門誌「スターーログ」に載っていた情報によると100号まで出るとのこと、なんと完結予定は2004年だって!!)

・・・早くも挫折しそうで怖い。

2002年3月28日 (木)

僕らにはアレンジしかできないのか?

テレビのインタビューで庵野秀明監督が「僕らの世代は小さい頃から、映画やテレビで一方的な刺激だけを受け続けてきた。精神的にも、国家への忠誠心があるわけでもなく、宗教的背景があるわけでもない。そんなボクに出来るのはこれまで自分が受けた(見てきた)刺激を再構成するだけだ。」みたいなことを言っていた。

監督よりも下の世代になるんだけど「バリバリのテレビっ子」だったボクとしては、このインタビューは脳天に響きまくりだった。・・・たしかに、ボクも演出をしていて「ほら、ここのシーンは映画の○○みたいな感じで」なんて言うときあるもんなー

まあ「無知の知」ということで、それをわかったところから頑張るしかないよね。僕ら世代は。(・・・「無知の知」の使い方間違ってる?)

2002年3月27日 (水)

とは言うものの・・・

「ネタバレしないようにしながら公演の魅力を語るチラシ」というのは難しい。芝居の内容を書きすぎたら、本番でのワクワクが減ってしまうしねぇ。

もうそろそろチラシのイラストを発注しないといけないのだが・・・。とりあえず、いつもギンギラのイラストを描いてもらっている庄チャンに「もうちょっと、待って」と電話を入れる。

2002年3月26日 (火)

今日も1日チラシのアイデアを練る

この前のシンポジウムでも言ったけど、ボクはワープロで作った「タイトルと劇団名だけのチラシ」なんてもってのほかだと思っている。だって、公演の内容が何にもわからないんじゃあ、お客様が期待のしようがないもんね(まあ、名前だけでワクワクできるような超有名な劇団なら、それでもいいんだろうけど・・・)

別に「お金をかけてカラー印刷で写真も使え!」なんて言ってるわけじゃなくて、要は「お金がないならないで、せめて、文章とかイラストとか、アイデアで勝負しようよ!」ということ。(逆に、お金はかかってるけど、「何の工夫もひねりもない」つまんないチラシもあるし・・・うん?なんか辛口になってるかな)

チラシというのは、「本番までの間、お客様と僕らをつなぐ大切なアイテム」だと思うので絶対に手を抜いちゃイカンと思うわけですよ。

2002年3月25日 (月)

只今、6月公演のチラシを作っている最中です。

気分転換に、留守録してたVGR(スタートレック・ボイジャー)とDS9(スタートレック・ディープスペースナイン)を見る。VGRは、「いよいよ最終回まであと3話!」なのに、何とも呑気な話だった。先週の話の方が、よっぽど「最終回が近い」って感じだったのに・・・何で最終回の直前に、こんな話を作ったんだろう? ちょっとガッカリ。
でも続けて見たDS9で、不満は吹き飛んだ。
こっちの話は「戦争に勝つため」という目的の前では、「正義と悪」という観念がいとも簡単に壊れていくというやつで、作品の中心テーマが「戦争」であるDS9らしいエピソードだった。
この、「暗くて、重いテーマ」に真正面から向かってしっかり作品にしているのがDS9の魅力なんだよなー・・・って、たまにスタトレの話を書くけど、これってほとんどの人には、何のことだか全然わからないかと思うと、ちょっと寂しい・・・。 

2002年3月24日 (日)

知らなかった!

今日のニュースを見てビックリ、メダカが絶滅しそうなんだって!自分が小学生の頃は、メダカなんてどこの川にもいたのになあ・・・。

そういえば、小学生の頃、掃除の時間に、外掃(運動場の掃除)担当になると、いつも掃除をサボって運動場の横を流れている川で遊んでいた。僕らが熱中したのは、まずドロでダムを造って川の水をせき止めて、流れが止まっているスキにダムの下流に町を作り、水があふれ出すのをドキドキしながら待つという遊び。(僕らはこれを、「洪水ごっこ」と名付けていた。)わかっていてやっているのに、作った町が一気に流されていく瞬間の、「ああー、せっかく作った町が、町が壊れていくー!」という切なさがたまらなかった。流されていく町を見ながら 「隊長、あの建物には、まだ逃げ遅れた人がたくさんいます!」 「ダメだ、もう間に合わない。あきらめるんだー!」 なんて、台詞を言いったりして、スゴク盛り上がっていた。もちろん掃除なんかそっちのけなので、すぐ先生に見つかり、ビンタされるのだが、たたかれても、たたかれても、もう中毒のように、毎日この遊びをしていた。今思うと、この遊びは、町が流されるところで終わりじゃなくて、掃除をさぼったことがばれて先生にビンタされて、寂しい気持ちになるところまでで終わりだったのかもしれない。だから、怒られても、怒られても毎日繰り返していたんだと思う。「サボって、壊して、怒られる」という「罪悪感3点セット」にゾクゾクしたんだろうな・・・って、単に学習能力がないだけかな。

あれ、メダカの話がどこかにいってしまった。

2002年3月23日 (土)

シンポジウムのテーマは「福岡で舞台を作るということ」

いよいよシンポジウムの当日。会場のぽんプラザに12時に集合して、弁当を食べつつ今日の打ち合わせ。メンバーはボク、とまとママ、泊君、朝日新聞の佐々木さん、財団関係者に、あとなぜか西鉄ホールの中村さんやピクニックの方もいて、そりゃあ賑やかな楽屋でした。もしかしたら、本番よりも面白かったかもしれない。

本番で喋るのはボクからだったが、「とりあえず、つかみは頼みますよ!」なんて言われて、変に緊張してしまった。だって、一体どんな人が聞きに来るのか見当がつかないし・・・出だしのトーンって難しいもんねぇ。 まあ、緊張しながらも、いつもこの日記で書いているようなこと、「自分にしかできない表現をさがすのが必要だ」なんて話をした。途中で話が脱線しまくりだったけど、何とか「自分の想い」は伝えられたかなぁ・・・。

2番目に喋った泊君は淡々と話しているようで、しっかり毒舌になってたし、最後のとまとママは「いつもの営業トーク全開!」でとばしまくっていた。 それぞれが、自分の想いを語ったわけだが、バラバラなようでいて、「お客様に対して表現者として責任をもつ」という点では同じなのを感じた。そうだよね、プロなんだから、なんとしても結果を出さないとね。

終わったあとに何人かでメシを食べにいったが、話が盛り上がっている途中で、泊君が中村さんに連れ去られていったのが何とも印象的だった。聞けば、飛ぶ劇の脚本締め切りが迫っているのだそうだ。中村さんは「北九州に帰る高速バスに泊君が乗るのを見届けてから帰ります!」と言っていた。 中村さんのようなプロデューサーがいてくれるのは本当に有り難いことだ。「お芝居って、こんな風に、まわりで支えてくれる人がいてくれてこそだなあ」なんて思ったりした。

今日は色んな意味で有意義な1日だった。 

2002年3月22日 (金)

6月公演「天神開拓史」の脚本を書きかえなければ・・・。

絶対やらないといけないのが「現在の天神シーン」の書きかえ。何しろ、岩田屋の伊勢丹傘下入りに、松屋の廃業決定に、あと次々つぶれるスーパーたちと、

「もう福岡の流通業界は大騒ぎ!」

こりゃ、なんとしても新ネタにしないとね。

しかし、いまさらながらに驚かされるのが、「福岡駅の南下による影響」。だって、北天神は、みんな大変な事になってるし・・・。

こんな事書くと、「オレは北天神じゃないゾ!」と岩田屋さんが怒るかな・・・。

2002年3月21日 (木)

そろそろ6月公演に向けて、全力疾走の日々が始まりそうな気配

「ぼちぼち公演の準備にかからなければ!」と、思ってはみたものの・・・ほら、せっかく春らしくなってきたしねぇ・・・これから忙しくなる前に、

「せめて桜を一目だけでも・・・」

ということで、自転車に乗って桜並木が綺麗な松下電器の工場へ。で、せっかくだから、そのあとキャナルに行って、あと、ついでにブックオフにも寄って・・・・そうやって、色々寄り道してたら、あっという間に1日が終わってしまった。ふー楽しかった。

「えっ、公演の準備?」

もちろん頑張りますよ、明日から・・・・。

2002年3月20日 (水)

基本的に、休みは月曜だけらしい・・・

打ち合わせで財団へ。リバレインの中に財団の事務所があるのだが、行くたびにビルのテナントが減っているような(もちろん人も)気がする。・・・大丈夫かリバレイン? ちょうど、あんみつ姫の石川支配人も来ていたので、打ち合わせのあとに、親富孝にある劇場に遊びに行った。営業前に舞台裏をのぞかせてもらったが、本格的な仕掛けの数々に驚く。さらに驚いたのが、あんみつ姫の年間ステージ数。なんと年間1000ステージもやってるんだって!(しかもショーは毎月新しい演目に変わっている!)すごいパワーだ・・・。

せっかく親富孝まで来たのでジャンジャンによって、大好きなティッカをたらふく食べて帰った。 

2002年3月19日 (火)

毎週火曜日発売の・・・恐るべしデアゴスティーニ!

今日は、「週刊スターウォーズ」の第4号が発売の日。

すごいよなー、「週刊」という言葉と「スターウォーズ」という言葉がくっつくなんて思いもしなかった。

「そうですか、これから毎週出ますか・・・。やれやれ、そりゃ、マニアのボクは買うしかないですなあー」と、これから始まるであろう長い道のりが嬉しいような悲しいような・・・。でも、やり方がうまいよね、ページが少ない薄っぺらな本のくせに500円という実に微妙な金額設定。こんなところまで「ワンコイン攻撃」とはね。ビミョーに高いのはわかってるんだが、

「好きなんだからしょうがないんだよねー・・・。」

あと恥ずかしながら、同じデアゴスティーニが発行している「週刊そーなんだ!」という雑誌も買ってしまった。この「週刊そーなんだ!」は、毎号「5つの科学の謎」を漫画で解説するんだけど(「えーっ!、それって小学生向けの本でしょ?」と、ツッコミが入るよね。うん、わかってる、でも、でもね、創刊号を本屋で立ち読みしたらスゴク面白くて・・・)

読んでいて3回ぐらい「そーなんだ!」って言いそうになったもんね。

毎週火曜日は「週刊スターウォーズ」と「週刊そーなんだ!」の2冊を買う日々が始まることになりそうだ・・・これって、デアゴスティーニの思うつぼなんだろうな・・・。

2002年3月18日 (月)

いまさら、そんなこと言うか?

何の話かって? 飲料メーカーがいっせいに発売した中国緑茶ですよ、中国緑茶。 CM見て驚きましたよ、

「中国のお茶の8割は緑茶です」だって!

おいおい、ついこの間まで「中国ウン千年のウーロン茶」って言ってたんやないんかい! 何だか中国っぽいパッケージ缶のウーロン茶を、ガンガン売っておきながら、いまさら「ほんとは緑茶なんです」って言われてもなあ・・・。

2002年3月17日 (日)

今日は昼から百道にあるRKBへ。

局のスタジオでギンギラキャラの撮影。昨日に続いて

「30分(正味25分)の番組でこんなに取材して全部放送できるの?」

と不安になる。・・・いや、取材してくれるのは嬉しいんだよ。このドキュメンタリーについては、「徹底的に取材してくれるんだったら、そのぐらいの覚悟があってやってくれるならボクも全部赤裸々にお見せします。」・・・なんてところから始まった話なので、まあ、たくさん取材するのは当然とも言えるんだけど・・・でも

「あのー、ちょっと撮りすぎじゃないですか・・・」

一体どの部分が放送されるんだろうか?何しろ、本当に「赤裸々」に取材されてしまったので、(最初のウチは「自分なりにどう撮られるのか」というのを計算しようとした事もあったが、毎回のようにカメラがあるし、本番前になるとカメラに気なんか使ってられないから、結局「まんまの自分」をさらしてしまってるのだ!家にも何回も来たし・・・)

うーん・・・番組を見るのが怖いなあ。 

2002年3月16日 (土)

天神で取材。

ドキュメンタリーの取材で天神へ。街を歩くところを撮影したり、インタビューを受けたりと今日もかなりカメラが回っていた。 この1年近くに渡って、本当に何かあるたびに取材していた熱意には、感動すら覚えたボクなのだが、スタッフの話によると、その「熱意のこもった取材」の結果、録画したテープが30時間分ぐらいあるらしい・・・。その話しを聞いて

「30分(正味25分)の番組でこんなに取材して全部放送できるの?」

と、素朴な疑問がわいてきた。ディレクターに「30時間を30分なんて、どうやって短くするの?」と聞いたら、ディレクターも苦悩の表情を浮かべていた。どうやら放送時間にあわせて短くするのに苦しんでいるらしい。ついこの間まで、2時間以上ある作品を1時間に短くするのに苦しんでいたボクに、「大変ですね。どうやって短くするんですか?」と質問していたディレクターだったが、いまやすっかり立場が逆転してしまった。

2002年3月15日 (金)

美しくて、格好良くて、迫力も満点。

博多座でスーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ」を見る。夕方4時半から始まって終わったのが9時。なんと上演時間は4時間30分!
始まる前は「4時間もあるのか・・・」と、時間の長さにちょっと怖じ気づいたりもしたけど、これが始まってしまったら、面白いの何の・・・。アクロバットに、本水での立ち回りに、大屋台崩し、そして最後は宙乗りと、もう「まってました!」の見せ場の数々・・・。
ここまで徹底的にやってくれると、もう何の文句もないね。4時間半の間、全然退屈しなかったもん。大満足の4時間だった。

2002年3月14日 (木)

このドラマにかなりハマってます。

明日の最終回に向けて、留守録でたまっていた「木更津キャッツアイ」(3話分)をまとめて見る。1つ1つのテンションがやたらめったら高いドラマなので、まとめてみると正直疲れてしまった。(まあ、この疲れがすごく心地よかったりもするけど・・・。)

作り手が「やりたいことをやりたいように、思いっきりやりました!」といわんばかりのドラマなので、ほんと羨ましい。さて、明日の最終回は、一体どう来るんだろう・・・。すごく楽しみだ。 ちょっと意外だったのが、このドラマの視聴率。ドキュメンタリーでギンギラを追いかけている局が同じ系列なので聞いてみたら、視聴率はそんなに良くないんだって。一般ウケはしなかったのかな・・・。 あと、他局だけど「ロングラブレター」は全然ダメらしい(当たり前じゃ!と思ったけどね。) 

2002年3月13日 (水)

今月中には決まると思うんですが・・・

「西区にある某所でのギンギラ公演」に向けて、ギンギラでいつも照明を担当しているアラマッキーと某所にある会場へ行く。(いい加減、場所を発表したいところだが、まだ実現するか正式に決まっていないので某所ということで許していただきたい) 機材的には申し分なさそうとのことなのでホッとする。会場を見たアラマッキーも、「ここでやれたら面白いでしょうねえ」とかなり乗り気だった。

うん、なんとしても、実現させたいなー・・・。

2002年3月12日 (火)

シンポジウムの打ち合わせでリバレインにある財団へ

午前11時から打ち合わせだったのだが、天気が良くて自転車で行ったのが大間違い。予想以上に時間がかかってボクだけ遅刻してしまった。初っぱなの顔合わせからこれじゃいかんよな・・・。

23日に開催されるシンポジウムは「福岡で舞台を作るということ」というのがテーマで、講師はボクと、あんみつ姫のとまとママと、飛ぶ劇場の泊君の3人。さすがに、ママも泊君も「自分のスタイルをしっかりもって頑張っている人」なので、一緒に顔を合わせてそれぞれの話しを聞いているだけで、すごく刺激になった。さてさて、ボクは何の話をするかなあ・・・。

午後からは「西区にある某所でのギンギラ公演」実現に向けて、予算の話し合い。とりあえず実際にかかる費用をまとめて、興行として成り立つのかを検討する。

夜はジャンジャンで、ギンギラ2月公演の決算報告。今日は打ち合わせ三昧の一日だった。

大塚ムネトの不定期日記