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2013年12月

2013年12月31日 (火)

静かな大晦日

おかげさまで今年も楽しく忙しい1年だった。新しいギンギラのスタイルも安定してきたし、大河PRや西日本新聞CMなど「地元ならではの光栄な仕事」もさせてもらった。締めくくりの音二郎も存分に演じることができたし、本当に気持ちの良い締めくくりとなった。

去年は、年明けすぐが公演でアワアワしていたが、今年はゆっくり。夕方から太宰府天満宮にお参りに行き、帰りに駅前で年越しそばを食べて帰宅。テレビを見ながら静かに年越し。 

2013年12月24日 (火)

楽しい記事構成

博多駅50周年記念で上演した芝居とシンポジウムの様子が新聞に出ていた。物語に登場した「幻の豪華列車」の紹介記事もあり、読んで楽しい記事だった。

15日の日記にも書いたけど、JRホールでのギンギラも良いなと。

2013年12月20日 (金)

ショーマン読み合わせ

今日はショーマンシップの事務所で読み合わせ。音二郎に続いて、「役者に集中する現場」が嬉しい。全員でテーブルを囲んで脚本を頭から読んでいく。年内の稽古は今日だけで、次回は年が明けてから。

ボク以外の出演者は、11月に一度本番を経験しているのでセリフも入っている。「年末の自主練で、年明けすぐの稽古に追いつくぞ!」と決意。 

2013年12月18日 (水)

存分に演じました。

午前中、いくつか場面を手直しして本番の準備へ。上手舞台そばの楽屋が「ベテラン役者の巣」となっていて、ボクもそこで楽しく準備。

いつものように速攻で準備をすませ、舞台で過ごす時間を確保。緞帳越しに聞こえてくるお客さまの賑わいを聞きながら、自分と会場を一つにしていく。表現が抽象的で申し訳ないが、自分の体が会場全体に広がるイメージというか・・・。これは、本番前に必ずボクがしている作業。

そして本番。ワイヤーで吊られていたボクが舞台上空から登場し、そこからは怒濤の2時間。相手役との演技を楽しみ、伝えるべきセリフに心を込め、大人数の場面では存分に騒ぎ、音二郎として存分に生きさせてもらった。

1度上演できただけでも運が良かったと思っていた芝居を、またこうして上演できて本当に感謝している。

今回もたくさんの方々のおかげで上演にたどり着くことが出来た。皆様ありがとうございました。そしてお疲れ様でした! 

2013年12月17日 (火)

博多座2日目

朝からキッカケ確認。自分で書いたくせに、オープニングの「上(天国)からオバケの音二郎がブランコで降りてくる場面」が怖い。3階席からも見えない高さまでワイヤーでつり上げてスタンバイなので、下を見ると怖い怖い・・・。この宙づりもちゃんと確認。

総勢100人を超える場面も、きちんと全員で確認していく。見切れないようにスタンバイしている場所から登場するまでの距離が稽古場以上にあるので、出遅れないように修正など。

さらに、早変わりがある役者の「上手から下手への移動」も一苦労。

前半部はオバケ姿のみなので、楽しく演じていたが、後半部は怒濤の着替えがあり、段取り確認に追われてしまった。ありがたいのは、今回衣装を担当している東京衣装の皆さん。早変わりは、この衣装さんが手伝ってくれている。さすがプロは手際が良い。

食事休憩などは、出来るだけ早くすませて「舞台で道具に慣れる時間」に。舞台で過ごす時間を多くすることで、「稽古場での芝居を、本番の大道具の中に変換する作業」をするのだ。 

2013年12月16日 (月)

博多座小屋入り

役者の小屋入りは夕方から。前回に続いて2回目だが、楽屋、舞台裏、客席と、博多が誇る本格劇場の見事さに改めて感動。ここで博多が誇る音二郎を演じることが出来るなんて役者冥利に尽きる。

今日は大道具や照明が中心の日なので、キャストは楽屋で自分の衣装と小道具の確認。途中、スタッフさんの食事休憩の時間を利用して、舞台に立たせてもらう。

明日は朝から怒濤のキッカケ確認とゲネ。そしてあさっては本番。嬉しい緊張感。 

2013年12月15日 (日)

「博多駅50周年記念イベント」

朝8時に倉庫を出発して博多駅へ。地下の搬入エレベーターからホールへ運び込む。準備の時間は朝9時から12時までの3時間。照明チームが早朝から作業をしてくれていたおかげで9時からすぐキッカケ確認が出来た。立ち位置、音響キッカケ、スライドのタイミングなどを次々決めていく。

約20分の短編だが、怒濤のキッカケ量に時間がギリギリだった。何とかゲネ迄きちんと終わらせて楽屋でスタンバイ。昼ご飯は、第2部のシンポジウムの打ち合わせをしながら。

そして14時から本番。関係者もたくさんいて会場は立ち見も出る満員。短編ではあるけど新作を上演する「今年最後のギンギラ公演」。短いながらもそれぞれの場面をかみしめながら上演。

おかげさまで公演は好評。これをキッカケにJRホールでも公演が出来たらと考えている。

2013年12月12日 (木)

音二郎通し稽古

今日もパピオの大練習室。博多座と同じサイズでの通し稽古2回目。まずは子供達の場面を抜き稽古してから通しの準備へ。100人ぐらい登場するので、それぞれの衣装や小道具の確認をするだけでも大変。

全体の確認をしながら、合間に共演者と演技の打ち合わせ。

ボクが音二郎の晩年を演じる後半部で、相方の貞奴役をやってくれるのは、坪内陽子さん。着物での美しい立ち姿、音二郎をかばって高利貸しと対峙する場面での男前な姿など、「男前で美しい貞奴」を見事に演じてくれている。素敵な大人の女優。是非いつかギンギラにも出演して欲しいなと。

久々の共演は、もともとギンギラに出てくれていた中島荘太。今はアクティブハカタに所属してがんばっている。音二郎を最後まで支えた役を演じているが、ギンギラでかぶりモノ作りを手伝ってくれていた荘太と重なって、ちょっとしみじみ。

伊藤博文役の二橋さん、若い音二郎を支えた若宮役の鶴賀皇史朗君など、前回と同じメンバーも多数。懐かしさと新鮮さが一杯の舞台になっている。

なにより、前回は作・演出・出演とエネルギーが3つに分かれていた自分が、今回は出演のみにエネルギーを使えていることが、本当に嬉しい。

毎回全力で演じて、稽古終わりでは気持ちよく燃え尽きている。

2013年12月11日 (水)

かぶりモノ仕上げ

撮影はあさって13日。明日は午後から音二郎の通し稽古なので、今日で仕上げなければならない。

あと残っている作業は、「ダメージ仕上げ」と「顔周りの建物の作り直し」。リアルな比率だと、顔の周りが小さな建物になってしまって見た感じが寂しい。いったん全体を作った上でそれぞれを配置して雰囲気を見る。それから、いくつかの造形物を大きく作り直す。

軍艦島のかぶりモノは、ギンギラ史上最大の「時間」と「手間」をかけた、壮絶なモノになりつつある。「イメージが立体になる喜び」で疲労と戦いながら食事以外はひたすら製作。

何とか夜中まで造形作業を終わらせて、あとはダメージ塗装。「絶対オーバースペックな作り込みだよなぁ」と思いながらも、「あの島を見た、自分の衝撃」を納得させるまで手を入れ続けたよ。 

2013年12月 9日 (月)

JR稽古

朝からかぶりモノ製作の続き。午後からは、15日に上演するイベント用の音楽編集と、スライドの準備作業。今日の夜の稽古で、全スタッフ会議があるので、すべてを用意しないといけないのだ。

うーん、かぶりモノの製作時間がもっと欲しい!

夜はJRイベントの稽古。関係者の見学もあるので、ノートPCを持って行き、映像や音楽を出しながら稽古。

イベントの準備は良い感じで進んでいる。担当の方の話では、申し込みもどんどん来ているとのこと。本公演でも良いぐらい出来るメンバーがそろったので、上演が楽しみ。 

2013年12月 8日 (日)

軍艦島のかぶりモノ製作

西日本新聞正月版の撮影が来週。ギリギリスケジュールを後ろにしてもらっているが、音二郎とJRイベントの稽古もあるので、かぶりモノの製作時間が足りない。

作ろうとしているのは「島の全景」。紙面レイアウトから考えて横幅を1メートル以内にして、かぶりモノとして成立する大きさを割り出す。

かぶりモノとしては1つだが、作ろうとしているのは全景なので、廃墟となった建物が多数必要となる。デザインを検討した結果、小さなモノもあわせて全部で20個の建物を作ることにした。かぶりモノは、その20の造形物を島にレイアウトして完成予定。

この作業が大変。サイズが小さいだけで、かぶりモノ製作と同じ作業が20個!もう、本公演のかぶりモノ製作に近い作業量。

新聞掲載用なので、建物の廃墟表現を細かく作り込んでも紙面ではわからないかもしれない。しかし、「実際に島に上陸して自分が体験した軍艦島」を作るには、ぼろぼろなニュアンスは絶対必要。

まずはきれいに作ってから、細かくダメージ表現を加えていく。さらに暗い色と明るい色でダメージ表現をしたでこぼこにコントラストをつける。

時間が許す限り作り続ける決意。

2013年12月 5日 (木)

音二郎通し稽古

夕方取材を受けてから稽古。今日はパピオの大練習室。ほぼ実寸サイズでの通し稽古。頭の中ではわかっていたつもりだったが、こんなに広かったのかと。

舞台を走り回ってへとへとになることで、「体が博多座を思い出した」というか。

しかし、3年前の初演ではもっと体が動いていたような気がするんだけど、こんなにきつかったかな・・・うーん。

「ほら、昨日の長崎取材の疲れもあるし・・・」と、自分に言い訳してみたよ。

2013年12月 4日 (水)

長崎の軍艦島へ

音二郎、JR短編と公演を2本抱え、他の仕事もあってバタバタしている大忙しな12月。そんな時、知り合いの記者から「軍艦島へ取材に行かないか」との誘いを受けた。

一瞬「スケジュールが厳しいから無理」とも思ったが、記者からの「当時住んでいた方の案内を受けながら、普段は入れないところも取材できる」との言葉に、思わず「行く」と答えてしまった。なかなか行けない場所で現場の方の話を聞けるなんて「ギンギラ的カモネギ状態」。こんなチャンス滅多にない。

県の許可をとるために「何かあっても自己責任です」と言う誓約書にサインをして、そしてついに今日の取材が実現。

案内をしてくれたのは、この島で子供時代を過ごした坂本さんという方。坂本さんは、「NPO法人軍艦島を世界遺産にする会(www.gunkanjima-wh.com)」の会長さんでもある。長年軍艦島に関わってきた、この島の達人。

もともと住んでた上に、観光ガイドの達人だから、案内が充実。堤防に残っている当時の子供達が作ったタイル画も、坂本さんの「あれは、私が小学生の時に作りました」と言う話を聞くと、坂本さんを通して、ボクも時間をさかのぼる旅に参加できる。「グラウンドは狭いので上級生が占領していた」とか「野球でホームランが出ても、ボールが堤防を越えて海に落ちたらアウト」とか・・・住んでいたからこその言葉ばかり。

昭和初期に建築のコンクリート製アパートには、当時坂本さん一家が住んでいた部屋が今もそのまま残っている。

島を2周して、ほとんどの建物の中に入り見学。今は廃墟となっている場所についても「ここに銭湯があった」「ここは人が多い通りで銀座と呼ばれていた」など、島の達人坂本さんのおかげで、島での生活を疑似体験することが出来た。「高度経済成長を支えたある時代」をさまよったというか・・・強烈な体験。本当に行って良かった。

朝9時から夕方4時までと限られた時間だったが、もう頭の中は軍艦島の情報でパンパンになったよ。

今日の取材については、西日本新聞正月版に掲載。今日の取材をふまえて製作する「軍艦島のかぶりモノ」も登場する予定なので、ぜひぜひ読んで欲しい。 

2013年12月 2日 (月)

JRホール下見

JRホールに行くのは初めて。シネコンの向かい側にホール入り口があり、ガラスに面した広いロビーをぬけるとホール。西鉄ホールを少し広くした印象かな。

見学のあとは西日本新聞の担当と打ち合わせ。今回は博多駅の50周年を記念してのイベントで、まず短編を上演し、そのあと博多の街についてのシンポジウム。

夜は15日に上演する「博多駅物語~ななつ星号の冒険」の稽古。まずは新聞告知用の撮影をし、舞台版の工夫を検討。   

大塚ムネトの不定期日記